野球小僧 season16

丸坊主にして自由な時間をなくしてまで,青春をそこに注ぐことに意味がある。

千里之行、始於足下(千里の行も足下(そっか)より始まる) / 千里の道も一歩から

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老子は中国、春秋戦国時代の楚の思想家。道家の開祖とされる人物。生没年不詳。

その著述と伝えられる書物も「老子」と呼ばれています。

老子に関する最古の伝記資料である「史記老子列伝によれば、姓は李、名は耳、字は(たん)といい、楚の苦県(こけん)(現在の河南省鹿邑県)の人です。
かつて周の王室図書館の役人となり、儒家の祖孔子の訪問を受けて礼を問われたこともありますが、周室の衰運を見定めると西方へと旅立ち、途中、関を通った際に関守の尹喜(いんき)の求めに応じて「道徳」に関する書上下二編を書き残して、立ち去ったそうです。

さて、新チームとなって、ちょうど一ヶ月になります。
その新チームに向けて、私が最初にみんなに話をさせていただいた内容を綴ります。

「千里の道も一歩から」は有名な言葉です。千里もある遠い道のりであっても、まず踏み出した第一歩から始まるという意味です。

この言葉が書かれている「老子」の言葉には、この「千里之行、始于足下」の前後にも興味深い良い言葉があります。それが、最初の言葉になります。本当はもっと長いのですけどね。

その前後にある言葉とは、次の言葉です。

「合抱之木、生於毫末、
 九層之臺、起於累土、
 千里之行、始於足下。
 爲者敗之、執者失之。」
老子》第六十四章

「合抱(ごうほう)の木も毫末(ごうまつ)より生じ、
 九層の台も累土(るいど)より起こり、
 千里の行も足下(そっか)より始まる。
 為す者はこれを敗り、執(と)る者はこれを失う。」

つまり、

「一抱えもある大木も、毛先ほどの芽から生まれ、
 大きな建物も、土台を盛る事から始め、
 千里の道も、一歩から始まる。
 そうした基本を忘れて、何かをしようとすれば台無しになり、
 何かに執着すれば、かえって失う事になる。」

と言うものです。

初めから大木には育っていません。大きな建物も出来ません。千里先に辿り着いている訳ではありません。
つまり、初めから強く、大きいものはありません。

要するに、今の自分は関係ないのです。その行きつく先なのです。そこに何を待たせているかです。

ただし、すべての木が大木に育つわけではありません。すべての建物が大きな建物になるのではありません。ましてや時間内に千里先に辿り着けるかは判りません。

大木に育った毛先ほどの芽は、大きく育つまでに「何か」をしたのです。

大きな建物を作るために、それに耐えるだけの基礎を作るために「何か」をします。
そして、勇気を出して一歩目を踏み出さない限り、千里先へは辿り着かないのです。

まだまだ、ひ弱な新チームではありますが、先輩たちを超えるために、その「何か」を見つけ出し、「何か」を自分のものにするために、一人ひとりが「チームの基礎」をしっかりと作り、新たな一歩目を一緒に踏み出していきましょう。

という内容です。

この一ヶ月間、みんなは「何を」してきたのでしょうか。
どのくらい育ってきたのでしょうか。

今週末から始まる全国への道の一つ、全日本春季予選でその成長を確かめます。