グッズ売り場には練習終了時間まえに限ります

あらためて練習試合の日にやってきましたが,販売ブース開店まえから長蛇の列ですから
Agreスタジアム北谷(北谷公園野球場)は沖縄県中頭郡北谷町美浜の北谷町運動公園内にある野球場。施設は北谷町が所有し,一般財団法人北谷地域振興センターが運営管理を行っている
所在地:沖縄県中頭郡北谷町(北谷公園内)
所有者:北谷町
管理・運用者:財団法人北谷町公共施設管理公社
内野:クレー舗装,外野:天然芝
照明:なし
収容人員:11,000人
両翼:98m
中堅:122m
スコアボード:電光掲示板
2014年11月:着工
2015年2月:竣工
1995年:開場以来,高校野球などアマチュア野球公式戦が行われている
1996年:中日ドラゴンズの春季キャンプ地として利用
2020年2月:那覇市に本社を置く求人おきなわが命名権を取得し,「Agreスタジアム北谷」と命名
球場に隣接して,陸上競技場,ソフトボール場,室内練習場,サブグラウンド,10人が同時に練習できる投球練習場(ブルペン)などがあり,ソフトボール場では「ビックカメラ高崎」のソフトボールチームがキャンプ会場として使用
北谷町データ
面積:13.91km2
総人口:28,472人(推計人口,2026年1月1日)
人口密度:2,047人/km2
北谷町は沖縄県中頭郡に属する町。沖縄本島中部西海岸に位置している
西海岸に位置する美浜地区には,観光客や駐留米軍関係者に人気のスポットアメリカンビレッジがあり,地域でも比較的大規模なイオン北谷ショッピングセンターといった娯楽店舗施設があり,多くの人が訪れる
ほんとうに観光客らしき方々が多い
日本軍の中飛行場があったため米軍の上陸地点となり,多くの住民の命が失われた。現在もキャンプ・フォスター,キャンプ桑江(キャンプ・レスター),嘉手納飛行場,陸軍貯油施設の4つの米軍関係施設があり,米軍基地が町の総面積の52.3%を占めており,残りの6.64 km2に約2万8000人の町民が暮らしている
球場でキャンプを見学していると,頭上には米軍F-35がひっきりなしに飛行訓練を繰り返す爆音が聞ける
1671年:安仁屋が宜野湾間切に編入。玉代勢・伝道・伊礼・浜川・野里を新設
1908年4月1日:島嶼町村制施行に伴い,北谷間切が北谷村となる。役場は砂辺に置かれる
1944年10月10日:那覇を中心に大空襲があり壊滅的な被害。北谷村も中飛行場(屋良:現嘉手納町)が標的となり空襲され,住民に33人の死傷者,家屋の焼壊などの被害
1945年1月~3月:相次いで空襲。3月23日からは上陸地点となる北谷から読谷にかけての西海岸一帯に艦載機約130機による上空から海岸や塹壕にナパーム弾や機銃掃射が始まり,翌日からは艦砲射撃も加わる
1945年4月1日:米軍は北谷から読谷にかけて西海岸より上陸し,村全域が占領される。翌日には東海岸まで侵攻,沖縄本島を分断し南北に進撃していく。南部戦線では住民および学徒隊を巻き込んだ悲惨な戦禍となった
1946年10月:桃原地区の一部への住民移動が許可される
1947年1月:謝苅地区への住民移動が許可されるが,県内有数の穀倉地帯であった地勢のいい平坦地は許可地域とならなかった。そのため地勢の険悪な土地を切り開いて住み着き,現在の謝苅の密集地区を形成
1948年12月4日:嘉手納など村北部が嘉手納村として分村(1976年に嘉手納町)
1980年4月1日:町制施行し北谷町になる
1981年12月:キャンプ・フォスターのハンビー飛行場がすべて返還
1988年10月11日:北谷町運動公園が開設
1997年ころ:アメリカンビレッジの造成工事が着工
2004年ころ:アメリカンビレッジの造成工事がほぼ完成
2007年ころ:デポアイランドの造成工事が着工
1972年5月15日に沖縄は日本復帰が成されたものの米軍用地問題の課題が山積された状況は変わらず。北谷村は1980年4月1日に北谷町となった。現在も町の約52.3%は米軍基地が占有している状況
北谷町はこれまでに「『ニライの都市』~自然と人間が調和した,創造性豊かな活力ある民主的な地域社会~」を街づくりの基本理念に掲げ,住民の豊かな生活と魅力ある地域社会の実現を目指した街づくりを推進し,西海岸地域は若者などが集う賑わいのある「美浜タウンリゾート・アメリカンビレッジ」構想が実現し発展
今後も住民生活を豊かにし,さらなる発展に向けたまちづくりを推進していく
名所・旧跡・観光
美浜アメリカンビレッジ(アメリカの雰囲気漂う複合商業施設)
宮城海岸(夕日スポットとして知られる)
安良波(アラハ)ビーチ(安良波公園内で遊具やバーベキューが楽しめるビーチ)
北谷町立博物館(歴史や文化を学べる)
北谷城跡
あしたもよろしくお願いします。






