世界最古の迷惑メールは1978年5月3日に当時のディジタル・イクイップメント・コーポレーション(Digital Equipment Corporation)の従業員がアーパネット(ARPANET:世界で初めて運用されたパケット通信コンピュータネットワーク)のユーザー約400名に送信したコンピューターの広告メールと言われています。
送信者:DEC社の従業員(当時)
送信先:ARPANETユーザー約400名
送信内容:DEC社の製品に関する広告
送信日:1978年5月3日
このメールは「The Father of Spam」と呼ばれ,迷惑メールの歴史の始まりとされています。また,この出来事が大量かつ無差別に送られてくる「迷惑メール」を示す言葉「スパム(Spam)」の語源となったと言われています。
ちなみに,「スパム」とは受け取る側の意思を一切無視して無差別かつ大量に送信するメッセージ。おもには「迷惑メール」がその代表格。
ところが,どうやらこのできごと以前の日本でも迷惑メール(手紙)が存在していたそう。
ときは戦国,1578年5月5日(天正6年3月29日)~1580年2月2日(天正8年1月17日)にかけて,いまの兵庫県三木市で起きた織田家と別所家の合戦,いわゆる「三木合戦」でのこと。
三木合戦は,織田家の羽柴(豊臣)秀吉さんが行った播州征伐のうちのひとつで,別所長治さんは播磨三木城に篭城(早い話が立てこもり)。この合戦で秀吉さんは兵糧攻め(早い話がお城を囲んで,水や食料などの物資の枯渇を図る)を行った。
合戦の様子はWikipediaで調べてください。
このとき,秀吉さんは戦況報告として,自分が三木の戦いでこれだけの手柄を上げた,長治さんを完全に包囲して落城寸前だみたいな手紙を自分の上司である織田信長さんではなく,側近の一人や二人ではなく,それほど親しくもないかなりたくさんの人に送りつけていたらしい。
これはこれで困りますよね。それほど親しくもない目上の方から自分の自慢話をする内容を送りつけられたのですから。無視するわけにもいきませんし・・・。
この秀吉さんからの迷惑メール(手紙)に対して,信長さんの側近たちは連名で返信したらしく,「しばらくごぶさたしておりましてすみません」とかの言い訳の文言から始まり,「秀吉さんさすがですね。評判です」と言うような内容だそう。
迷惑メールに返信しちゃったんですよね。そりゃ,目上の方から自慢を伝えられたらほめないわけにはいかないので,仕方ないからほめておきましょうかという感じなのでしょう。
ちなみに,この三木合戦の発端は長治さんが信長さんを裏切って敵に寝返ったこと。そのとき播磨地方の平定を任されていた秀吉さんはあせり,さらに信長さんへの報告・連絡・相談が遅れたそう。
これに対して秀吉さんは,「信長様へ 今回報告が遅れたのは,決して油断なんかではありません。別所長治の覚悟,様子を見極めておりました」という言い訳の手紙を送っていたという。

天下を取るお方は違う・・・。なかなかやるな,秀吉さん。
あしたもよろしくお願いします。